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アンコン本選 表彰式の巻

2016年06月10日 23:34

アンコン本選を観て最も感動したのが、実は表彰式だったということをまず報告しなければならない。

まったくもってお恥ずかしい限りである。

二中や五中をはじめ、日大東北、黎明なども大変素晴らしい演奏だったことは言うまでもない。

それは間違いないのだが、表彰式は違う意味で感動的だった。

お気に入りの二中オールスターズが長時間映っていたからだろうと、妙な想像をする人もいるかもしれない。

Non!である。

確かにあの子を見て、お口クチュクチュモンダミンをしているのか?それとも親知らずが痛むのかな?と要らぬ心配をしたことは間違いない。

海彦とオリーブと蘭ちゃんが3人仲良く揃い踏みだったこと、ステージ後方の撫子とおじぎ草が、あたかも二輪草のように並ぶ姿も私を興奮させた。

しかしなんといっても一番感動的だったのは、成績発表のシーンである。

「総合第2位、プログラム15番、日本大学東北高等学校合唱団」

客席の日大部員たちが歓喜の声を上げる瞬間、カメラはステージを映していたが、私は後方に座る二輪草が泣いているのを見逃さなかった。

涙を見せまいと顔を伏せる撫子部長の様子に私は激しく心を揺さぶられた。

若松4中に敗れ、二中の5連覇が絶たれた、4年前の気の毒なくらいの落胆ぶりを思い出したのだ。

私は粘着質タイプだからあの時の悔しさは未だに忘れていないのです。(笑)

まさか撫子部長、今回は絶対1位と思っていたのが2位だったから悔しくて泣いたっていうんじゃないよな?(笑)

私は想像する。

日大東北合唱団がアンコン全国総合第2位という快挙を成し遂げるまでの彼らの苦難の道のりと奮闘ぶりを!

昨年第8回アンコン予選の日大東北の演奏が素晴らしかったことは昨年記事に書いた。

有村架純に似てきたとか、テノールの響きが秀逸で、大いに期待できる合唱団であると書いたように思う。

私の耳も捨てたもんじゃないと、今回の演奏を聴いて少し自信が持てた。

調和のとれた女声も素晴らしかったが、特に男声の響きの美しさに驚嘆した。

昨年も日大恐るべしと驚いたが、今年は入念に磨きこんだ合唱だったという印象がある。

表彰式ばかり観ていて肝心の演奏をあまり聴いていないせいで、演奏についてあれやこれや書くことは出来ないが、グレゴリア聖歌を聴いているような、静寂さを感じさせる合唱だったように思う。

アカペラの素晴らしさをこの合唱団は私に教えてくれた。

外人審査員フィリップス殿下が毎回講評で、パレストリーナやタリスを演奏するのが望ましいと指摘するとおり、パレストリーナ作品を選曲したのが奏功したのかもしれない。

「静謐」という言葉がある。

この合唱団固有の男声の美しい響きをいささかも損なうことなく、それどころか、より一層引き立てるような控えめでありながら芯のある女声合唱の巧みさに、私は「静寂」と「静謐」を感じ取った。

演奏のことはもっともっと聴きこんでから改めて書くことにしたい。

さて撫子ファンである私は、彼女の立ち居振る舞い、特にお辞儀姿に感じ入ったことはぜひとも書いておきたいと思う。

お辞儀の達人であるおじぎ草部長(二人とも元部長なのでややこしい)の影響なのか、演奏開始前のお辞儀、終了後のお辞儀が見事過ぎるくらい見事だった。

演奏会でよく見かける、お腹の辺りで両手を揃え深々と一礼するスタイルは、こちらもそういうものだと思って見ていたせいか大して気にも留めていなかったが、高校生にはちょっと気障というか生意気というか、わざとらしい印象もある。

ところが撫子部長は違った。

彼女はそんな真似はせず、ごくごく自然に両手を前に揃え丁寧に一礼したのだ。

やはりこの人は違う。

節度を弁えた高校生らしい態度とその清々しさに私は深く感じ入った。

また、表彰式を見てわかるように、挨拶する時は必ず立ち止まってお辞儀している点も褒め称えたい、まさに大和撫子である。

会ったこともない彼女だが、思い返せば「fight」を演奏した郡山大会の写真を見て、この子はただ者ではないと直感した私は決して間違っていなかったと確信できた瞬間だった。

さすがTHE二中の冠に値する人物だけのことはある。

それにしてもよくあれだけの人材を揃えたものだ。

男子の顔は片端から忘れてしまう私も、二中で見覚えある顔が数名見える。

撫子先輩を慕って入学したのかもしれないとも思ったが、さすがにそれはないだろう。

どうやってスカウトしたのだろう?

「◯◯君さぁ、合唱部入るんだよね?」
 
「今考えてるんすよ先輩 だって練習きついんしょ?」

「あんたさぁ私を誰だと思ってんの!」

「すみません」

「私の指示がきけないの?二中合唱部OB会から除名されたくないでしょ?」

「ええっ!」

「いいこと、あの子とあの子も連れてくんのよ! 連れて来なかったらどうなるかわかってるわよねー?」

「でも・・・」

「二中合唱部OB会から」

「わかりましたわかりましたから・・・」

「わかればいいのよ、じゃあ明日の朝練から参加しなさいね」

そんな脅迫めいた真似は絶対してないと思うが、二中のそれもエース級をよくも集めたものである。

撫子部長のリーダーシップが遺憾なく発揮されたのだと、部員の顔ぶれから私はそう判断した。

昨年は予選どまりだったこの団体も、今年は連帯感みたいなものを強く感じる演奏だった。

真面目でひたむきな演奏はこの団体の持ち味のようにも思える。

昨年は緊張のせいか生真面目過ぎて堅苦しい部分も垣間見えたが、今回は節度のある伸び伸びした歌い方に変わっていた。

かつてそれほど注目されなかった団体が、わずかな期間で眼を見張るような成長を遂げる、人材の豊富さというだけでは成し得ない、やはり優れたリーダーの下、全員が一丸となって取り組む姿勢がなかったらとても実現できなかったろう。

撫子とおじぎ草が二輪草となって引っ張っていったことは想像に難くない。

もちろん二人だけの努力でなし得るものではなく、全員の堅い決意が結束したからこそ類まれな演奏が出来たのである。

彼女たちが卒業しても、このDNAはこの団体の財産になるに違いない。

撫子部長の感涙にむせぶ姿は、いろんなことを想像させた。

正直に申せば、人材が優れていたとはいえ、あの合唱愛好会がまさかここまで上り詰めるとは思わなかった。

その道のりは決して平坦でないどころか、急峻な山あり谷ありの連続だったのではないかと想像する。

だからこそ私は登頂を果たした撫子部長の姿に感動を覚えるのだ。

総合1位の五中の演奏も文句のつけようのない見事な演奏だったが、個人的には日大東北の方に深い感動があった。

それは決して撫子部長に肩入れしたからではない、演奏が素晴らしかったから肩入れしたくなったのである。

だからこれからも日大東北を応援していくつもりだ。

そのうちにはきっと撫子二世が現れるだろうから。(笑)


表彰式といえばひとつ書き忘れた場面があった。

二中の入賞表彰式である。

あれは稀に見る傑作シーンだった。

表彰状を受け取った部長と目録を手にした副部長が、二人揃って客席に一礼をするシーンを想像してもらいたい。

海彦とオリーブ、礼をするタイミングがてんでばらばらになってしまったのだ。

客席の二中部員が声を揃えて「ありがとうございました」と言う前に、オリーブが若干早めに一礼してしまったのである。

海彦部長は客席の部員の声を待って一礼しようと考えていたようだ。

そして客席から「ありがとうございました」の声が上がると、オリーブが「おっ」って顔をして、笑顔でもう一度一礼するのだった。

この時の笑顔がなんとも爽やかで素敵なのである。(笑)

お前はビョウキだと言われるのを覚悟で書くと、アンコン会場に突如アイドルが登場し、これまでの演奏なんか吹き飛ばしてしまうような強いインパクトがあった。

真剣に歌っているご尊顔しか拝んでいないから、こんな素敵な笑顔をする子なのかと新発見をした気分である。

その後、くるりと方向を変え大股でステージを闊歩する彼女。

本当は超アッケラカンとした子なのではないか?

もともと美人でカッコいい人だから、宝塚の男役が似合うんじゃないか?

今の二中合唱部は宝塚音楽学校みたいになってるんじゃないか?

彼女の「おっ」を繰り返し再生しながらそんなことを想像してしまった。(笑)




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姫君を探せ!

2016年05月29日 21:39

二中がNコンで「青きドナウ」を歌うわけがないので、せめてもの慰めにと、根城中の「ドナウ」と二中の映像をコラボさせたスライドショーを作ってみた。

もちろんここで公開なんて出来るわけはなく、お仲間とこっそりインにこもって鑑賞している。

作成中気付いたのは、この曲には二中を連想させる言葉が散りばめられているということだ。

♪ウイーンの乙女の歌う調べも

もちろん、東北のウイーンに住む合唱乙女たちのことである。

♪艶なる姫君を見た日もあろう

あるある!毎年テレビで見てる。

♪ありし頃を偲んで(中略)この流れの畔を今もなお歩む

私は勝手に、阿武隈川河畔を歩きながら物思いに耽る二中女子を思い浮かべているが、逢瀬川の方がいいか?

もっとも安積疎水も阿武隈川も逢瀬川も、私自身この目で見たことはないのだが。

♪水は冴かに美しく空のように青く限りなき美にドナウは充ちる

安積疎水だろうが阿武隈川だろうがこの際かまわない。

♪我等いま歌う 青きドナウを讃えて 我等いま歌う とこしえに美しく青きドナウの歌を

合唱乙女が安積疎水か阿武隈川か逢瀬川かわからないが、賛美していると思いたい。

あまりに突飛な連想ばかりで呆れ返ったことと思うが、自分でも呆れている。

そしてこういうことはあまり言いたくはないのだが、実はこの歌詞の中には、人名がたくさん隠れているのをご存知か。

たとえば、「谺した日もあろう」でいうと「こだま」、「ドナウは充ちる」だと「みちる」など。

コダマやミチルという名前の子がいるのかどうか手元資料をあたるが該当者はいないようだ。

それでも私は強引に7人の部員氏名を見つけたが、興味のある暇人は是非試みられたい。(笑)

そういえば昔、三上博史主演のドラマ「適齢期」の中で、中嶋朋子が「児玉ひかり」というOLを演じていて、新幹線というニックネームを付けられていたのを思い出す。

ちなみにこのドラマ、主題歌「想い出にかわる時」がまた素晴らしく、CDを買って聴きまくったことも懐かしい。

どうしてこの歌がヒットしなかったのか不思議である。

ドナウの歌詞を読んだことのある人は星の数ほどいるだろうが、歌詞に部員の名前を見つけ出すなんて芸当は私にしか出来ないと自負している。(笑)

それくらい二中が好きなのだという冗談はおいておくとして、私は心底「美しき青きドナウ」という曲が好きなのだ。

ヨハンシュトラウスの作品は、ライトクラシックに分類され一段低く見られる傾向にあるようだが、ワルツのための実用音楽という範疇を超えた極めて芸術性の高い作品だと思う。

あまりに演奏されすぎた名曲というのは、賞獲得を目指すコンクールには不向きなのかもしれない。

しかしそれゆえに名門、強豪と称される団体に演奏して欲しいのである。

とりあえずは入賞することが目標という学校には無理だろうから、すでに功成り名遂げて一流の誉れ高い団体こそ思い切った挑戦ができるのではないか。

この「ドナウ」が演奏されたのが昭和62年、根城中Nコン4連覇という大記録のさなか歌われたものである。

選曲の失敗と言われるのを覚悟して、通俗合唱曲に真剣に取り組み、その曲が世界中で長く愛され続ける理由を見せつけるような合唱を聴いてみたい。

Nコンで金賞受賞の実績のある学校が、堂々と通俗合唱曲を披露し、一部外野から嘲笑されたとしても、その演奏が優れ感動的だったら、人々はその団体の勇気を讃え盛大な拍手をおくるだろう。

そんなこんなで、二中のバーチャル「ドナウ」を聴かんがために数時間かけて作ってはいいが、途中から特定個人のPVビデオの様相を呈してしまったことを報告しておかねばならない。

具体的に言うと、歌に合わせてソプラノとアルトの画像を交互に差し替えていったのだが、どうしても特定のメンバーに思いが入ってしまい、つい映像をアップにしたりしているうち、妙に臨場感が出てしまい、今にも歌い出すんじゃないかというレベルに達してしまった。

かつて二中オールスターズ数人のスライドショーを作った経験がものを言ったのかもしれないと、自画自賛しているところだ。

間違ってもネットに公開なんてことはしないが、どうしても見たい、オレも二中病に罹患したいという奇特な御仁がおられるようだったら、1万円で手を打ってもいいと考えている。(笑)

あまりに根城の「ドナウ」にハマりすぎ、未だアンコン本選を見れていないのが残念だ。





「美しき青きドナウ」を歌う「美しく賢き二中」

2016年05月29日 11:40

絶対ありえない話だということはわかった上で妄想してみる。

「美しき青きドナウ」がオーストリアの非公式の国歌と呼ばれているのは有名だ。

男声合唱団向けに作られたこの曲が初演ではすこぶる不評だったいう話は、実際のところよくわかってないらしい。

もちろんドイツ語で歌われているわけだが、訳詞を読むと、我々がよく耳にする「遥かに涯なくドナウの水はゆく」とは全くと言っていいほどニュアンスも言葉も違っている。

それゆえ私は、「An der schonen blauen Donau」と堀内敬三の「美しき碧きドナウ」は別物だと思っていて、日本人が無理して原語で歌う必要はさらさらないと考えている。

もしこの日本語訳を、古色蒼然として全然リズムに合わないと思う人がいるとすれば、たぶんその人は「仰げば尊し」も「蛍の光」も意味不明のまま歌うタイプの人なのだろう。

少なくとも合唱好きにはそんな人はいないだろうから、格調高い日本語を十分味わえるに違いない。

それにしても良い曲だ。

遥かに~♪  遥かに♪
涯なく~♪  涯なく♪
ドナウの~♪ ドナウの♪
水はゆ~く♪ 水ゆく♪

中学生がこれほど明るく清らかに、羽根のごとく軽やかに歌えるものなのか!

根城中の女声高音の美しさは比類ない。

女声低音の、遥かに~涯なく~ドナウの~水はゆく~♪は、私が聴く限り、ドナウの中流あたりの風景を歌っているようなイメージだ。

ここをゆっくり歌うとドナウ下流域のイメージで、私は悠々と流れる大河を連想する。

これが男声合唱だとその低音と相まって決まってドナウ下流が思い浮かぶのだが、女声合唱だと歌い方次第でどちらのイメージでも作り出せるように思う。

問題は混声で歌うとどんなイメージが出来上がるかということだ。

大丈夫、二中ならどちらのイメージでも作り出せるはず。

男声を控えめに女声優位で演奏すれば上流あるいは中流域になるし、力強い男声を加えればたちまち大河ドナウが出来上がる。

私は前から、一度二中の「ドナウ」を聴いてみたいと思っていたが、昨年の「プレゼント」の歌い出しを聴いて、二中しかないと確信に近いものを持ったのだった。

それは出だしの、知らないという~♪ の歌い方があまりに素晴らしかったからである。

特に「ら」の膨らませ方が秀逸で、言葉を輝かせ歌に艶をあたえる歌い方だった。

他校と聴き比べてみるといい、一目(耳)瞭然、決して大袈裟でないことがわかるから。

知らないという~♪ の輝きが、「ドナウ」の流麗さに相応しいと思ったのだ。

ワルツの軽やかさをいささかも崩すことなく、鮮やかに情景を歌い上げるには、輝きのある二中トーンが必要不可欠なのである。



すぐ美味しい~すごく美味しい♪

2016年05月22日 16:41

根城中学校の「美しき碧きドナウ」が素晴らしかったという話の続き。

YouTubeの開設以来、様々な動画を鑑賞し保存してきたが、私の中で間違いなく消したくない動画ベスト3に入る作品だと思っている。

昭和62年の演奏ということは、根城中学がNコン4連覇という大記録達成の最中に歌われたということで、どうりで上手いはずである。

当時の歌い方というのは素人耳には現在とはずいぶん違っているように聴こえる。

ビブラートのない声はストレートな感情がそのまま表現されているようで、現在の中学生合唱に慣れた耳にはとても新鮮であり、時には神経質ともとれる過敏な感性がそのまま歌声に載せられているようにも思う。

腫れ物に触るという言葉通り、時に神経質なほど繊細になり、またある時はすべてを吹っ切って豪快に歌い上げる、この二面性というのか、鮮やかなコントラストがいかにも多感な中学生を連想させる。

中学生らしい合唱である一方、背伸びしているというのとは違う、彼女らの大人びた声にも驚いた。

豪快に歌い上げることがあっても、それは決して野放図でもあけっぴろげでもなく、節度を弁え歌うところが、この学校の品格や矜持を感じさせる最大の理由なのかもしれない。

さて、前から不思議なのが、「美しき青きドナウ」と「美しく青きドナウ」はどちらが正しいのかということ。

たぶんどちらでも構わないのだろうけれど、私の知る限り、「美しき青き」と表記される場合が多いように思う。

私個人は、形容詞が連なった「美しき青き」は違和感があるし、だいいち歌詞の最後が「とこしえに美しく青きドナウの歌を」となっているわけだから、「美しく青き」の方が正解のような気がする。

変な喩えで恐縮だが、私なら「美しき賢きオリーブ」よりも「美しく賢きオリーブ」と書きたい。

「すごい美しい」も、今はさほど違和感なく聞こえるが、私は「すごく美しい」の方が座りが良いように思う。

昔流行ったCMに、すぐ美味しい~すごく美味しい~♪ というのがあったが、「すごい美味しい」とは歌ってない。

もうひとつ、「青きドナウ」か「碧きドナウ」か「蒼きドナウ」かというのもあるが、これもその人の趣味、センスの問題かもしれない。

ここは素直に「美しき青きドナウ」としておく。

さて、根城中の「ドナウ」であるが、親しくしている合唱オタクの方から、二中や五中が演奏したら驚異的な「ドナウ」になるのではないかという意見をいただき、私自身そう夢想していたこともあって、そのことについて考えてみることにした。

妄想だから笑わないで読んで欲しいのだが、もし二中がNコン自由曲に「ドナウ」を選曲したらという話である。

いくら私でもあり得ない話だということはわかっている。

絶対あり得ない選曲だが、万が一、いや、億が一にも実現したら、大方の予想を裏切ってかなり高い評価を受けそうな気がしたのだ。

ある意味Nコンのエポックメイキングな自由曲になるのではないだろうか。

私の記憶だと、かつて(といってもここ何年かではあるが)、自由曲に「ドナウ」や「ハレルヤ」など超通俗曲を演奏した学校はないと思うが、考えてみれば実にもったいない話である。

演奏技術を争うには不向きな曲だから演奏しないというのもあろう。

また、手垢のついた通俗曲じゃなくても他にたくさん名曲があるし、せっかくだからこの際背伸びして難曲に挑戦したいというのもわかる。

しかし私は思うのだ。

聴衆が知りすぎている「ドナウ」や「ハレルヤ」で人を感動させるのは至難の業だということをわかっているから演奏しないのではないか。

聴衆ひとりひとりがその曲のイメージを心に抱いて演奏に耳を傾けるわけだから、少しでもクセがあると途端に拒絶され、中学生には無理だと烙印を押されてしまうかもしれないし、考えようによっては非常に勇気ある挑戦ともいえる。

しかしそのぶん、聴衆の心を掴むことが出来れば、大喝采が待っていることは火を見るより明らかだ。

想像してみて欲しい、二中の演奏するハレルヤコーラスを。

ハレルヤ!ハレルヤ!ハレルヤ!ハレルヤ! ハレ~ル~ヤ~ ♪

文字通り鳥肌が立つような演奏で感極まった観客は、王様じゃなくても立ち上がってしまうに違いない。

会場はスタンディングオベーション間違いなしで、その模様は7時のニュースで大きく取り上げられ、後日NHKスペシャルが特集を組むだろう。

いやその前に、歴史秘話ヒストリアで、郡山の音楽都市としての歴史を紐解く番組も考えられる。

もちろんその時最初に紹介されるのが二中で、番組冒頭井上あさひがこんなリポートをするはずだ。

「私は今、先日行われたNHK全国学校音楽コンクールで金賞を受賞した郡山市立郡山第二中学校に来ています。
ここは合唱の名門校、強豪校として広く知られ、人気実力ともに日本一を誇る音楽都市郡山を代表する中学校です。
(校舎に目を遣りながら)あっ、歌声が聞こえて来ますね、練習中なんでしょうか?ちょっとお邪魔してみましょう。」

セカオワよろしく音楽室を訪ねるのだ。

今回は郡山の音楽環境が主眼だから原発関連の話はなし。

数人の部員にこれまでの音楽経験を尋ね、ピアノを弾ける部員、ヴァイオリンを弾ける部員が何人いるか調査し、合唱部のほとんどが何らかの楽器を経験していることがわかって井上あさひが驚愕するのである。

それだけではなく父母や兄弟姉妹までもが音楽愛好者だという事実にあさひは言葉を失い、楽都郡山おそるべしとリポートを締めくくるのだ。(笑)

閑話休題。

「ハレルヤ」は通俗曲だけに人は理屈なしに感動できるから、難解で技巧を凝らした演奏を聴かされるよりはるかに聴衆の興奮は大きい。

それは「ドナウ」でも同じこと。

自分の中に曲のイメージが出来上がっているとはいえ、改めて名門中学合唱団による正調かつ清澄な(シャレではない)「美しき青きドナウ」を聴かされると、飛び上がらんばかりの衝撃に近い感動があるに違いない。

ハレ~ル~ヤ~♪ 同様に終わりの、とこしえに美しく青きドナウの歌を~♪ の素晴らしさは、何度聴いても涙がこぼれそうになる。

とこしえに♪に続くソプラノの、美しく青き♪の発語の明瞭さと美しさ、アルトの青き♪が重なる部分はまさに鳥肌ものだ。

アルトのメロディーがこれまた素晴らしい。

それにしても三十年も前の中学生はこんな声が出せていたのかと驚くばかりである。

発声の方法も今とは違っていたのかもしれない。

何かこう精神的自立みたいなものを感じさせる中学生とは思えぬ大人びた声で、力強くも優しく、凛としていながら脆さも感じさせる、あの時代の中学生の鋭敏な感受性が歌声から伝わってくるようだった。

私は今更ながら中学生合唱に惹かれる理由がこの演奏に全て含まれていることに気付いた。

もちろん手放しで褒めているわけではなく、こう演奏した方が良かったのではと思うことも何箇所かあった。

しかし歌声がそれらを帳消しにした。

ウイーン少年合唱団による「An der schonen blauen Donau」はコンサートでもCDでも聴いているが、根城中「美しき碧きドナウ」は本家に勝るとも劣らない日本語版の傑作であると断言できる。

これは通俗曲と呼ぶには適当でないかもしれないが、かつてNコン高校部門の課題曲だった「ともしびを高くかかげて」も、一流の中学生合唱で聴いてみたいものだ。

先日作曲者である冨田勲が亡くなったと報道があったが、だからというわけではないが、歌詞の内容からも熊本地震で途方に暮れる被災者を励ますことが出来るのではないかと思ったのである。

熊本にも熊大附中や昨年の銅賞校帯山中などいい合唱団が多い。

彼らの歌声が人々を慰める日もそう遠くないうちに訪れそうな気がしている。

Nコンの規定で、過去の課題曲を自由曲に選曲してはならないと規定されているのならともかく、せっかく名曲が宝の山のごとくあるのだから歌わない手はない。

技巧を凝らした超難曲に中学生が全力で挑むことの意義を否定するつもりはないが、眉間にしわを寄せて聴くような楽曲は少なくともNコンでは聴きたいとは思わない。

難曲を不完全に仕上げてくるのなら、いっそのこと思いっきりベタな曲を選曲し、その代わりこれ以上ないというくらい完璧に歌いあげて欲しいと思う。

知らない曲を超絶技巧で聴かされると体が震えるくらい感動を覚えることがあるが、よく知ってる曲を中学生のスーパー合唱で聴かされると胸にこみ上げてくるものがあり自然と涙がこぼれる。

もしNコンで大真面目に「ドナウ」を歌う二中を目の当たりにした聴衆はあっけにとられ、空いた口が塞がらないといった状態になるだろう。

しかしその表情も演奏が進むにつれ変わっていくに違いない。

見たことのないドナウの流れが眼前に広がるからである。

青い空と大河、鳥のさえずりや風までもが忠実に再現されるはずだ。

今は昔の青きドナウも、彼らの歌声のなかではあくまで美しく青きドナウなのである。

スタンディングオベーション必至だ。

オーストリア第二の国歌と呼ばれる「An der schonen blauen Donau」はもともと合唱曲だったという話は有名な話。

通俗曲と決めつけるにはもったいなさ過ぎる、名合唱曲である。

「美しき青きドナウ」「ハレルヤ」「ともしびを高くかかげて」

私が二中の超絶合唱で聴いてみたい三大通俗合唱曲であるが、贅沢を言えば、「渡り鳥」「落葉松」「海はなかった」なんていうのも聴いてみたい。
   


碧きドナウ

2016年05月15日 18:57

誰もが知っている超有名曲で聴衆を感動の渦に巻き込むというのは、意外に難しいものである。

自分が慣れ親しんだ曲だけに、少しアレンジが変わっただけで違和感を覚えてしまう。

たとえば「美しき青きドナウ」なんかもそうで、ウイーン少年合唱団やウイーン国立歌劇場合唱団、はては名も知らぬ日本の合唱愛好団体までいろいろと聴いてみるものの、本家を除けば、感動を覚えるほどの演奏は聴いたことがない。

もちろんそうじゃないという意見もあるだろうが、私はあの曲にはボーイソプラノが必須と考えているので、大人の声が聴こえただけで違和感が先立ってしまう。

そんな私が久々に「青きドナウ」を聴きたくなりYouTubeにアクセスしたところ、ようやく納得できる演奏を見つけた。

青森の雄、いや、女声だから優にしておこうか、ご存知、八戸市立根城中学校合唱部である。

Nコン東北ブロックの常連校であり、「ふるさとの四季」の名演でも有名だ。

「ふるさとの四季」だけじゃなく「碧きドナウ」もあったのかと、灯台下暗しの感が強い。

遥かに~   遥かに ♪
涯なく~   涯なく ♪
ドナウの~  ドナウの ♪
水は往く   水往く ♪ 

素晴らしい!

こんな軽快でキレのあるドナウは聴いたことがない。

また、これほど清潔で清々しい女声合唱はずいぶん久しぶりに聴いたような気がする。

間違いなくこれは名演で、中学生合唱のベストセレクションに加えたことは言うまでもない。

堀内敬三の詞がまったく古臭く聴こえないところもこの合唱団の優秀さを示している。

「 An der schönen blauen Donau 」もいいが「美しき碧きドナウ」も捨てがたい。

さて、私が本領発揮するのはここからである。

もし二中がこの曲を演奏したらどうなるか?

私の妄想は果てしなく広がるのであるが、それについてはまた次回。

今日は根城ドナウで心を清めたい。


 
  





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