先日、市主催の「市民音楽祭 コーラスの集い」に行ってみた。
市内近郊の合唱愛好家たちが自慢のコーラスを披露するという実にほのぼのしたコンサート。
もちろん郡山の合唱祭とはその意味合いからレベルまでぜんぜん違う。
しかし生で聴く合唱は、上手い下手という次元を超えて感動的であることは確か。
約4時間座りっぱなしで、先週は腰痛で大変だった。
「ふるさとの四季」 「Ave Verum Corpus」 「あすという日が」 「あの鐘を鳴らすのはあなた」 等々。
なぜか分からないが、「あの鐘を鳴らすのはあなた」を聴いていると不意に込み上げてくるものがあった。
決して上手ではないのだが、不思議と心揺さぶられたのである。
もちろん阿久悠、森田公一コンビによる昭和の名曲だからということはあるのだが、これまで何度聴いたかわからないのに今回のようなことは初めて。
しかし、昨日の黎明日本一でその理由が分かったような気がした。
~ つまずいて 傷ついて 泣き叫んでも さわやかな 希望の匂いがする ~
~ やさしさや いたわりや ふれあう事を 信じたい心が 戻って来る ~
この歌は決して男女のことだけを歌っているわけではない。
優れた歌詞というものは、具体的過ぎずどのようにも解釈、想像できるだけの許容度、奥深さがある。
まさにこの歌がそうである。
この曲が震災復興のシンボル曲になっていると聞くが、それもアリかなと思う。
私は、二中合唱部や黎明合唱団の比類なきハーモニーに幾度となく落涙したものだが、いつも凛として決して甘えのない彼等の歌声に、ある種の理想と憧れを抱いていて、この歌は彼等に対する賛歌として私の心にシンボライズされているのだ。
二番の歌詞にある、「信じたい心が戻って来る」 よくぞ言ってくれた! この言葉に尽きる。
合唱を聴いて心が洗われた経験は誰しもあろう。
精神の浄化、いわゆるカタルシス効果である。(多少意味合いが違うように思うが)
「あなた」を、「二中」もしくは「黎明」、あるいは「部長」や「副部長」でもいい、置き換えてみるのだ。
「町は今 眠りの中」 「町は今 砂漠の中」 「人はみな 悩みの中」 「人はみな 孤独の中」・・・
郷愁として語られることの多い昭和の時代だって、現在とたいして変わりなく、心が荒み、孤独な人たちは多くいたのである。
そこへ「鐘を鳴らしてくれる人」が現れるのだ。
荒廃した世の中に一筋の光明を見いだせそうではないか!
わけのわからないことをウダウダ書いてしまったが、昨日「金」を鳴らしてくれた安積黎明、そして今日「金」を鳴らしてくれるに違いない郡山二中、少なくとも私にとって、彼等は間違いなく救世主である。
コメント
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( 2011年11月02日 22:05 [編集] )
世寡虫 | URL | -
Re: Re: あの金を鳴らすのはあなた♪
通りすがり様
名曲中の名曲ですよね。
こんな歌作れるプロの作詞家作曲家なんてもういないですね。
カラオケで歌うと頭が痛くなる、高音連発、サビ連発のストリートミュージシャンあがりなら履いて捨てるだけいるようですが。
( 2011年11月05日 22:41 [編集] )
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