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吉田秀和風に(笑)

2013年06月01日 13:03

NHKで放送された「言葉で奏でる音楽~吉田秀和の軌跡~」を見て大いに刺激を受けた私は、ふとこんな文章を思いついた。


東北郡山は音楽が盛んな街である。

「楽都郡山」「東北のヴィーン」を掲げ、数々の音楽団体が音楽形式にとらわれず活動している。

その中でも特に郡山二中合唱部は、市民に愛され、誇りに思われている団体だ。

私は、「ヴィーンの秘蔵っ子」たる郡山二中が演奏するモーツァルトがいかほどのものか確かめるため、アンサンブルコンテストに赴いた。

演奏開始早々、私は我が眼を疑った。

モーツァルトが見える。

ステージ奥の段に浅く腰掛けたモーツァルトが見える。

頬杖をついたモーツァルトが、二中メンバーを後ろから眺めている。(このへん林芙美子風)

モーツァルトの音楽は、「来る者は拒まない」ものではないかとこの頃私は思うようになった。

楽譜を読み、そこからモーツァルトの描いた音楽世界を想像し、具体的に表現しようとする者を、彼は決して遠ざけたりしないはずだ。

人懐っこいモーツァルトのことである、楽譜の読みが深かろうが浅かろうが、また演奏が巧みか否かに関わりなく、ただ愛してくれる人を彼は求めているのではないか。

好きでいてくれる人の前では、どんなことにもあけっぴろげでいてくれるのが彼の身上だ。

どこまでも明るく気さくで親しみやすい、軽妙で洒脱だけれどもどこか淋しげ。

人懐っこいけれども気分屋な面もある。

たまに深刻な顔をしているかと思うと、突然明るい光が降り注いで眩惑させられる。

ザルツブルク時代、若きモーツァルトの反骨精神の上に築かれた彼の絶対譲れない様式美を、これまた反抗期さなかの中学生が、鋭敏な感性を武器に、彼の苦悩に共感したかのごとく、明るさの中に悲しさを、悲しさの中に光を見い出すことを彼等は当たり前のように淡々とやってのけ、我々の心を歓喜で満たす。

これを奇跡と言わず何と言おう。

モーツァルトが微笑んだのは間違いない。

モーツァルトに愛された郡山二中合唱部。

アニュス・デイが終わると、拍手喝采にかき消されるように、彼は静かに立ち去った。



憑かれたようにワケのわからないことを書いてしまった。

ああ恥ずかしっ!!



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