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とにかく明るい二中 「安心してください 狙えますよ!」

2015年09月30日 21:41

Nコンライブで全国大会出場校すべての演奏を聴いたが、結局は郡山二中と郡山五中に落ち着く。

楽都郡山の学校だからという先入観にとらわれたわけでもなく、もちろん美貌に目が眩んだということとも関係ない。

さすがの私も合唱曲は、声の美しさ、響きの美しさ、言葉の美しさなどを基に自分好みの演奏を決めている。

たとえ二中に芸能人なみの美貌を持った生徒がいたとしても、そんなことで私の好みは左右されない。(されないんじゃないかな?)

さんざん「プレゼント」を聴き続けている私だが、最近また新たな発見があったのでそれについて書こうと思う。

二中版「プレゼント」については以前、木を見て森を見ず的レビューをしこたま書いた。

端折って言えば、ソプラノが犯罪的に美しい(声です)ということを言いたかっただけのようにも思うが、その根拠となるものを新発見したのである。

鈍感な私が気付いたくらいだから、たぶんほとんどの人は知っておられるはずだ。

後半の「だから楽しみにしながら~ ゆっくり開けたら良いんだ~」の部分。

ソプラノがアップになる場面と言った方がいいかもしれない。

恥ずかしながら私は、このシーンになるとつい耳が疎かになってしまい、これまで美声の発信源を見逃してしまっていた。

「だから楽しみにしながら~」の「しながら~」が、ほんの僅かソプラノ高音が伸びて聴こえるのだ。

ホールの環境や録音の関係かもしれないが、私にはその声が一人のソプラノから発せられているように聴こえた。

中学生とは思えぬ艷やかな声で、例えが古くて恐縮だが、「旅愁」を歌った土居裕子の声とそっくり。

中学生合唱団にプロが混じって歌っているのかと錯覚するほどだった。

二中ソプはこんなのが歌っているのか!反則じゃないか!

ちなみに、前半部分の「その言葉 言えなくって♪」でも土居裕子現象がみられる。

そうそう、「その言葉言えなくって」が「そのことは言えなくって」に聴こえてしまうのは私の耳が悪いせいか?

まぁどっちにしろ意味は通じるし、だいいちその時は歌っている画面に釘付けになってる人がほとんどだろうから、些細なこととしておこう。

改めて言うが、今年の二中の「プレゼント」は素晴らしい。(当然どんぐりも素晴らしい)

曲自体の魅力というのもあるが、ここ数年の中では群を抜くレベルにあると私は考えている。

(こういうことを毎年書いてるような気がするが、おのれの過去記事を読み返そうとは思わないし、事実そう思うのだからしかたない)

希望を胸いっぱいに、明るい未来を信じて歌うその姿や声に、中学生合唱の醍醐味を感じるのは私だけではあるまい。

もちろんそれが現実の彼等の姿であるとはさすがの私も考えてはいない。

でもそこが素晴らしいのだ。

ひとりひとりが思いを声にのせ、一丸となってハーモニーを作り上げる。

そしてハーモニーの力を借りて個人の思いを普遍的な理想像に近づけようと努力する姿が、私にはとても眩しく感じられる。(私は何を言っているのだろうか)

「歌で演じる」というとおかしく思われるかもしれないが、私には単なる感情移入を超えて、彼等が課題曲で歌われている一人称の主人公だけでなく、想像上の相手役までになりきって歌っているように思えてしかたない。(女優か!)

演じるというと何かそこにけれん味みたいなものを感じてしまうものだが、それを微塵も感じさせないところが二中の凄いところだ。

またわけのわからないことを書いてしまった。

二中を聴いていると時として何かに憑かれたように勝手に書き進んでしまうことがある。


五中の「プレゼント」は驚異的なソプラノと、「いま君のいる世界が 辛くて泣きそうでも」が秀逸だと書いた。

今でもこの部分を聴くと、泣きそうになってくる。

うわべだけでない真の友が、自分一人のためだけに歌ってくれているような、優しく慰めてもらっているような、なんとも切なくて、しかし暖かい気持ちにさせられる。

五中にしては珍しく比較的テンポよく歌われるも、ここにくると急にしんみりとなって泣かせモードに突入し、素直な私はついホロッとしてしまうわけだ。

ただし、この後の手のひらを返したような唐突な変わり様はギャップがあり過ぎで私の好みに合わない。(殴ってください)

しっとりしんみりの五中に対して二中は、仲間意識の強いクラスで、落ち込んでいる仲間がいたら皆で励まそうとするイメージがある。

どこまでも明るく前向きで、そこに逡巡はない。

現実とは程遠い理想の世界がその歌声から聴こえてくるようだ。

だからといって深みがないということにはならない。

二中のこの理想的と思える明るさこそが、現実世界の辛さ悲しさを確実に和らげてくれるのだから。

もうひとつ感動した場面を書いておきたい。

学級委員長が「ひとりぼっちにさせないから大丈夫だよ♪」と熱唱する直前の、「大切な人がたくさんいるんだってことが~♪」のところ。

渦潮のように声がまとまっていく様は見事であり、オーバードライブを切って加速していくような力強いハーモニーは、高揚感とともにその前進エネルギーに圧倒されそうだった。

ブロックコンクールでここまで歌われると、かえって全国大会が心配になってくる。

いや、二中のことだ、きっといい意味で裏切ってくれるに違いない。


先週は、九州ブロックと中国ブロックコンクールの模様をテレビ視聴した。

両方見られるのは実に有難いことだが、出来れば全ブロックコンクールをテレビ放映してもらいたいもの。

ネット中継、ネット動画の貧弱極まりない画質音質では、せっかくの綺麗なハーモニーがもったいない。

深夜帯に2,3時間放送すればいいだけの話だ。

はっきり覚えていないが、数年前に一度東北ブロックコンクール小学校の部がBSだったか深夜の時間帯で放送されていたような記憶がある。

毎年ブロック大会をテレビ視聴して思うのは、Nコンライブで東北ブロックコンクールを見る前に見ればよかったということだ。

なんであんな顔して歌うんだろう?

表情を明るくして歌えと指導されたのか、目をひん剥いて口を大仰に開いて歌う姿は不自然に見えてしかたない。

こういう時私はテレビに向かって説教することにしている。

「郡山二中を見てみろ!変顔してる子なんてひとりもいないぞ!顔で歌うんじゃない、心で歌うんだよ」と。(笑)

感情移入するためにわざとらしく表情を作ることを否定する気はないが、作るならもっと上手にやって欲しい。

その曲を自分のものにしていたら、もっと自然な表情で歌えるはずと思うからだ。

想像するに、容姿端麗であることが入部の条件であるかのような二中だって、初めての曲を練習する時は、歌詞を解釈し歌に感情を込めるため、ぎこちない、不自然な表情になっているのではないかと思う。

二中が多くの学校と違うのは、厳しい練習を積み重ねて曲を完全に自分のものとし、いつしか表情もごくごく自然なものにしていることである。

私は二中合唱を見る時、いや聴く時も(笑)、演奏で感動するだけではない。

その歌声を成立させるための彼等の並々ならぬ努力にも感動しているのである。

今年の二中は例年以上にいい表情で歌っているという印象がある。

昨年のNコンに出場していて見覚えのある生徒が多いせいか、経験者に表情豊かな子が多いように思った。

その中でも抜きん出ていい表情を見せていたのがオリーブさんで、その元気ハツラツ爽やかな歌いっぷりは、堂々の好感度第1位、今回の最優秀グランプリである。

特定しては可哀想だから後段の何番目に立ってる子とか絶対に書かないけれど、たぶんわかる人にはわかるだろう。(笑)


10日もすれば全国大会である。

もう入場券を入手されただろうか。

観覧希望のハガキを出すというのも一つの方法、というかそれが至極真当な方法なんだろうが、大きな声では言えないがある種コネを使ってゲットするという方法もある。

これが売買禁止の入場整理券ですと、ここに画像をお見せしてもいいのだが、関係者に迷惑がかかってはいけないので止めておく。

注意事項として「客席内での飲酒、喫煙、写真撮影、録音、録画は、固くお断りいたします」とある。

じゃあ双眼鏡でガン見するのは問題ないんだな!

巨大なホールだから米粒くらいにしか見えないと聞くし、よし、行く時は絶対大口径の双眼鏡買って行こう。

三脚なしの望遠鏡という手もあるが、入り口で取り上げられて一生出入り禁止になるだろうな・・・。




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