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やめられない止まらない

2015年10月05日 22:50

毎度毎度同じような愚にもつかないことばかり書き散らして申し訳ないと思うけれど、私がどんなに二中「プレゼント」に夢中になっているかわかって欲しいのである。

日常生活の中で、「郡山二中のプレゼント聴いたか?凄いよな!」と、聞いて回るわけにもいかず、少しでも分かってくれそうな少数の読者相手にこうしてチョコチョコ書いてるわけだ。

最近まで二中と五中は互角の争いをすると思っていたのだが、ここに来てまた考えが変わってしまった。

ブルックナーの自由曲についてはコメントできないから、「どんぐり」についても書かないことにする。

よって課題曲の良し悪しで判定するしかなく、不公平にならないよう目をつぶって両校の演奏を数回聴き返してみた。

目を開けて聴くと、視界に飛び込んでくるものについヨコシマな気持ちが働いてしまうからである。

結論を言うと、やはり課題曲は断然二中の方がいい。

五中も涙するくらい心のこもった演奏だったように思う。

何度も書くが、「いま君のいる世界が 辛くて泣きそうでも♪」の情感あふれる表現は、今聴いてもピカイチだと思う。

私は自他ともに認めるおっさん中のおっさんだが、この部分を聴くと、若い頃を思い出すのか、それとも現状を慰められているような気持ちになるのか自分でもよくわからないが、とにかく涙があふれてくるのだ。

明るい暗いという次元ではなく、悲しみが真に迫ってきて辛くなるのである。

五中の歌は私を「諭す」ように聴こえてならない。

無意識のうちに求めている何かが、五中の声を通して諭しの形で返ってくるような感覚がある。(イタコか!)

歌の力というのか声の力というのか、絶大なものがあると五中の歌を聞くたびに思う。

またわけがわからなくなったので、二中に行く。

さきほど五中の歌は私を諭すと書いたが、二中はまったく趣が異なる。

二中の励ましは、一見等身大の中学生に向けて発せられているように見えるが、私はそれだけではないと思う。

実はここが二中のお家芸というか真骨頂で、極めて高い普遍性を持つ励ましなのである。

何年か前記事に書いた覚えがあるが、二中の合唱は人を感動させることはあっても、そうやすやすと人を元気にしたり励ましたりはしないというのが私の考えだ。

二中の合唱を聴いて元気をもらったなどという人がいたら、その人はきっと素直な人間なのだろう。

辛い時、悲しい時、心が折れそうな時、二中の歌声は決して我々に、元気を出して、頑張れ、と励ましたりはしない。

ただ何も言わず寄り添ってその思いを一緒に受け止めてくれるのが二中合唱なのだと私は思っている。

結構シビアーなのである。(笑)

明るく伸びやかで、逡巡や後悔とも無縁に思える歌声も、辛く厳しい道のりを乗り越えてきたからこそ到達できた頂上から発せられるこだまみたいなものなのかもしれない。

我々は頂上付近にいる二中しか見たことがないし、これからもそうだろう。

しかし彼等は地表から登って来ているのである。

彼等の歌声には、頂上にたどり着いた者にしかわからない痛みや苦しみや悲しみが込められている。

それを彼等は絶対見せようとはしないし我々も見ることは出来ない。

しかしよく耳をすませば少なくとも厳しさは感じられるはずだ。

だから私は彼等の歌声を聴いてもつい悲しみを見てしまい、無条件に明るい気持ちにはなれないのである。

人生の坂道を歩む時、二中が隣で歌ってくれればどんなに励みになるかわからない。

登山する時は経験豊富なガイドさんがいてくれた方が何倍も安心できるのと同じだ。

またまたひっちゃかめっちゃかなことを書いてしまったようだ。

二中に没頭するとこうなるから困る。

いっそ「プレゼント」を発禁にして欲しいくらいだ。

寝てる時以外いつも頭の隅っこで二中の「プレゼント」が鳴っている。(夢に出てくるのも時間の問題)

ちょっと前まで五中の「いま君のいる世界が~♪」で涙を流し、カタルシス効果で気分をスッキリさせていたのに、最近は、学級委員長の「ひとりぼっちにさせないから大丈夫だよ~♪」によく励ましてもらっている。(笑)

中学生に励ましてもらわねばならないほど孤独を感じたことはないが、不思議といい気持ちになれるのが自分でもおかしい。

話は変わるが、ステージで歌ってる部員たちには、周囲から響いてくる歌声がどんなふうに聞こえているのだろう?

私のわずかな経験によると、バッチリ音が決まった瞬間は一瞬そこに静寂が訪れたみたいになって、仲間の声が信じられないくらいはっきり聞き取れたという経験がある。

全国トップクラスの合唱団ともなると、周囲の声が思ったよりもはっきり聞こえているのかもしれない。

またそういう団体だったら当然周囲の声も美しいだろうし、自分の声が周囲の声と共鳴した時など、思わずうっとりしてしまうことがあるんじゃないかと想像したりする。

学級委員長の顔を見るたび、ああ、この子今うっとりして歌ってるなと、励ましたくれた彼女にとても失礼なことを思ってしまうのである。





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