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「厳しい」という言葉の意味あやふやだったんだ♪

2015年10月07日 23:50

先日、二中の合唱に美しさとともにある種の厳しさを感じると書いた。

ただその厳しさも、ここ数年は少しばかり質が変わってきているようにも思える。

今回はそのことをもう少し書きたい。

どう変わったかを説明するにも、私の音楽知識、文章表現力があまりに足りなさすぎて、考えていることの半分も伝えられないと思うが、それでもあえて書く。

まことに奇異な表現で申し訳ないが、最近の二中合唱には、「厳しい中にもどこか自由に振る舞っていい気楽さ」みたいなものを強く感じるのだ。

数年前は「厳しい中にあっても絶対へこたれない逞しさ」を感じていたが、ここ何年かはその逞しさに、「楽天性」が加わってきたように思える。

楽天的というのは単にその歌声が明るいからということではない。

その歌声に、開放感、いや解放感か、自主性や個性の尊重といったものを強く感じるようになったということだ。

そう感じるようになったのは、いつ頃からだろう?

「証」を歌う頃の二中にはそう感じることはなかったが、「fight」の頃から少しずつその思いが強くなってきたように思う。

もちろんNコン課題曲だけでそう思ったわけではない。

Nコン、全日本、アンコンを聴いたうえでの印象である。

厳しさが足りないというのとは違う。

束縛感がないと言うか、どこか伸び伸びしたところがあって、おおらかさとも違う、なにか楽天的なものをそこに感じるのだ。

もちろん私にその理由がわかるはずはなく、マエストロの影響だろうか、生徒の質の変化だろうか、あるいは二中を取り巻く環境の変化だろうかと、あれこれ想像を巡らすも、当然答えなど見つからない。

二中の合唱が少しずつ変化しているように私は感じるが、それは良い悪いのレベルで語られるものでないことは当然だろうし、何と言っても私自身現在の二中合唱が好きなのだから、歓迎すべき変化であるとも言える。

「万物は流転する」というけれど、やむを得ないのではなく、それが自然ととらえるべきなのだろう。

サンドウィッチマンじゃないが、何言ってるかわからないと思われた人も多いに違いない。

それでもかまわない、私が思ったことを書いてみただけだから。


あと数日に迫ってきた。

今年は例年以上に緊張してしまう。

金賞に手が届くかどうか心配しているのではない。

上手過ぎる=技術偏重ととらえるポンコツ審査員が現れて、不当な点が付けられりゃしないかを心配しているのである。

二中にはこの辺りにも気を配って戦略を練っていただきたい。

審査員も唸る断トツの超絶合唱をするのはむしろ逆効果で、中学生であることを忘れず、頭一つ抜き出るくらいの演奏にとどめておくのが望ましい。

それだったら審査員も妙な気は起こさないだろう。

成功を祈る!





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