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堪え難きを堪え 忍び難きを忍び 

2015年10月19日 22:53

私情を挟むどころか、私情100%で書く。

何度聴き返しても二中以外考えられない。

僅差だったとか、Nコンの趣旨に照らした結果とか、そういったおためごかし的素人見解はいらない。

たしかに昨年は課題曲自由曲ともに一歩譲った感があったが今年は違う。

二中の圧勝とまでは言わないが、かなりの得点差を持って二中の勝利というのが実感である。

もちろん音楽に関しては素人なのだから、演奏について細かい指摘が出来るわけではない。

あくまで私の主観による、客観性ゼロの評価である。

それでも同じ曲を何度も何度も繰り返し聴いていると、好き嫌いとは別に、上手いかそうでないかくらいはわかってくるものだ。

特に表現力に関しては、音楽専門家なんかよりむしろ素人の方がわかってるんじゃないかと思うこともある。

なんせ私は二中の課題曲自由曲をゆうに数百回は聴いているのだから、なかじっかな役人審査員よりは耳が鍛えられているはずだ。

もちろん二中だけ聴いていたのでは審査もへったくれもないわけで、全国予選を勝ち抜いてきた某中学と某々中学を審査対象に加えた。

いずれも広く知られた強豪校である。

3校を厳密に審査するうえで最も気を使ったのが、見た目で騙されてはいけないということである。

見た目の問題というのが実は審査においてはたいへん大きな影響力を持つことを、私自身痛いほどわかっている。

それゆえに公正を期すため、視聴する時にはブラインドテストよろしく目をつぶり耳だけに神経を集中させたし、またある時は3校の演奏を音声ファイルにしシャッフルさせて聴いたりもした。

涙ぐましい奮闘努力の結果、私は二中が一位と判断したのである。

ちなみに、目を開けて普段通りの審査を行ったところ、案の定、二中のぶっちぎりで全然勝負にならなかった。

この事実については後日時間をかけてゆっくり論じたいと思っている。(笑)


課題曲の初めから自由曲の終わりまで、レビューを書きたいのはヤマヤマだが、時間と文章力が限られる中、今回は一部抜粋したものを読んでいただこうと思う。

3校の違いが最もよくわかるのが、課題曲の終わり部分である。

「ひとりぼっちにさせないから大丈夫だよ その言葉返せるように強くなりたい」

(歌詞を見ずともスラスラ書けるようになった)

私はこの部分を3校がどのように演奏しているか、動画を編集し、そこだけ抜き出して聴き比べてみた。

某中学は、小学6年生が卒業文集に書いた自分の夢を教室で音読しているような印象で、高音がとても幼く聴こえる。

課題曲に限って言えば、あっけらかんとした子供らしい合唱というふうに私には聴こえた。

ただそれとは別に、人を惹きつけ、心を揺さぶる歌い方、抑揚の付け方なんかは実に上手く、選曲も含め人を感動させる術を心得ているというのがこの学校の最大の強みのように思えた。

某々中学は、入院中の生徒がむりして元気を出そうとしているような、繊細だけれども弱々しい印象が拭えない。

あまりに声が大人びているせいか、歌声に青春の息吹など微塵も感じ取ることは出来なかった。

しかしこの学校、音程の正確さとハーモニーの融合感は比類がなく、まるで波打ち際に打ち寄せられる細かい砂粒が広がっていくような、その広がり方からある種の法則が導き出されるのではと思うほど数学的な美しさがある。

ただそれだけに、もっと・・・という気持ちが強い。

そこへいくと我等が二中は、いや、我が二中と言わせてもらおう(笑)、現役バリバリの中学生が、未来を信じ、希望にあふれた若い声で力強く歌っていて、理想の道を突き進むイメージだった。

ソプラノという女声楽器の美しさはこの学校の伝統であると言ってもよく、その音色は明るく艷やかで品が備わっているのが特徴である。

今私は女声楽器と書いたが、主旋律を歌う時やアルトと掛け合いをする時は艶やかなヴァイオリンのようであり、時に管楽器のような効果ももたらすことに気付かされた。

管楽器の一発は弦百丁に優ると言った指揮者は誰だったろうか。

弦楽器の艶やかな音色に人は癒される。

音楽に身を委ね、徐々に感情が高まってやがて頂点を迎えようとする時、必要なのが管楽器の一発である。

ここぞという時のパンチ力は管楽器に敵わない。

「大切な人が~いるんだってことが~♪ ひとりぼっちにさせないから大丈夫だよ~♪ その言葉返せるように強くなりたい~♪」

ここの管楽器効果は見事で、慰めも励ましも、元気も勇気も友情も、すべてここに見ることが出来る。

残念ながら他の2校には、元気勇気はあっても慰めが足りなかったり、反対に友情や慰めは十分だけれども元気勇気が感じられなかったりと、すべてを満足させていたのは二中だけだったと断言していい。

あっぱれ二中ソプ!

郡山で育まれた者にしか出せない音色があるとしたら、こういうソプラノを言うのかもしれないと、つい大袈裟なことまで考えてしまうのは、私の悪いクセだ。

賢人アルトも目を見張るような歌いっぷりだった。

今年ほどアルトに熱中したことはない。

いつも脇役に徹しているようなアルトも、今年は主役に躍り出たという印象がある。

弾力性のあるその歌声は私を魅了した。

もしアルトがソプラノに負けていたら、プレゼントもどんぐりも、どんなにかつまらないものになっていただろう。

見てくれは審査の対象外と言ったが、歌も見た目も例年以上にパワーを感じさせた。

背筋を伸ばして「つ・よ・く♪」と歌うアルトにどれだけ私が感動したか!(目を閉じたら瞼に浮かんだ)

実に凛としたアルトで、思い出しただけでも泣けてくる。


ソプラノひとつとってみても学校によってずいぶん声の印象が違うようだ。

美しくまとまっているけれど小学校高学年の声だったり、とても繊細で美しく響くのだけれど溌剌さに欠けた声だったりと、この課題曲に相応しい声を出せていたのは二中だけだった。

「何も足さない何も引かない」はウイスキーの宣伝文句だが、私は二中の合唱にもあてはまると考えている。

目指すは透明感のある合唱と言うけれど、その声は決して無色ではない。

パステルカラーでもなければモノクロでもない、もちろん極彩色とも違う。

光の三原色のようなというか、均等に混ぜると白色になって、加減によって何色にでも変化させられるような・・・

一口に白と言っても様々な白がある。

二中の白色、言い換えれば二中カラーのようなものがあって、「何も足さず何も引かず」の混じり気のない音を響かせるから、人はそこに透明感を覚え魅了されていくのではないか、私はそう思うのである。


声質が審査にどう影響したのかなんて、実は私にはどうでもいいことである。

ただ、二中の歌声がこのうえなく好きで感動させてもらえればそれでいい。

銀賞は郡山二中と発表された時、二中生が悔しがるでもなく泣くでもなく、歓声を上げ素直に受賞を喜ぶ姿はとても清々しかった。

彼等は正しい、悔しがる必要など1%もない。

かつてない高水準の合唱を全国に鳴り響かせたのだから。

私が籾井会長だったら、審査結果などおかまいなしに職権で、迷わず二中部長に金賞楯を渡しただろう。

大問題に発展して後々国会招致されて弁明を迫られるかもしれないが、その時はその時、説明責任を果たす自信はある。(笑)


課題曲のわずか10分の1を書いただけでこんなに長くなってしまうのだから、とてもじゃないが全部を書き切る自信はない。

空手形になる恐れが多分にあるが、できれば課題曲の初っ端からレヴュー兼審査過程を書いてみたいと思っている。

それが無理ならせめて感動したところだけでも(全部を意味する)、思いつくまま書いていきたい。

ここまでお付き合いいただいた方に心より感謝します。




コメント

  1. | |

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  2. 世寡虫 | URL | -

    Re: ソプはヴァイオリンだ!

    名無しさま

    同意していただき嬉しく思いました。
    私は○中はヴィオラのイメージがありますね。
    中低音が高音ソプラノと低音バスを上手く繋いで両者を引き立たせるみたいな。
    まあどう感じるかは人それぞれなんでしょう。
    いずれにしろ弦楽器だけの響きでは淋しいですし、○中のように派手に鳴らしてくれた方が一般受けすることは間違いなさそうですね。(ヤレヤレという声が漏れ聞こえてきそうですが 笑)
    ご投稿ありがとうございました。
    またのご訪問をお待ちしております。

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