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唯物主義者?

2016年04月09日 22:33

「SONGS~合唱スペシャル」を観た。

二中が出るかもしれないと手ぐすね引いて待ち構えていたのに、肩透かしを食らった。

録画を消去したので正確ではないかもしれないが、過去のNコン課題曲が順に紹介され、中学生のその曲に対する思いを語るという内容だったように思う。

「Yell」「アイラブ」「桜の季節」はともかく、「証」「fight」がスキップされたのは残念。

最後に、今年の課題曲を作ったmiwaが中学生とともに「結ーゆいー」を歌い番組が終わる。

「ゆい」と聞くと私は、条件反射的に「新垣結衣」と「◯◯唯」の顔を思い浮かべてしまう。(笑)

Nコンらしく、ひとりひとり個性を大事にしましょう、あなたの存在はかけがえのないオンリーワンなんですからという意味で「唯ーゆいー」でも良かったじゃないか?などとくだらないことを考えながら観ていた。

NコンHPで見本演奏を見ていたので、だいたいどういう曲かわかっていたつもりだが、miwa本人が歌うとやはり合唱のみとは趣が違う。

私自身はけっこうmiwaが好きで紅白出場の時は欠かさず観ている。

大晦日、難しいことを考えず元気いっぱいに歌うところがいい。

しかしあくまで顔と演奏スタイルが好きなのであって、歌自体にひとつも魅力を感じたことはない。

何と言うか、完全に自己満足ソング、迷い迷い作曲したらこうなりましたとしか私には聴こえない。

歌詞のメーセージは伝わるものの、言葉のアクセントは無視され、旋律の美しさがないというのが私の印象だ。

もちろんトップレベルの合唱団が歌う「結」は全く別物に仕上がるのだろうけど。

彼女の曲が十代の心を掴んでいるらしいと聞くと、それはメーセージ性の高さによるものだろうと思った。

もしもmiwaの曲が歌ではなくインストゥルメンタルで流れたとしたら、またmiwaが森三中みたいな体格だったとしたら、それでも十代は飛びついただろうかというのが偏屈オジサンの考えだ。

もちろん見てくれで歌を好きになるのはよくあることだし、それがダメということではない。

現にこの私だって、二中をこよなく愛し彼等が演奏する曲全て良しと考えているのは、歌唱力のみならず多分に外見にも影響されているような気がする。

仮に、鶴川二中が郡山二中の制服で「プレゼント」を歌い、郡山二中が鶴二のセーラー服を着て(もちろん女子だけだ)「プレゼント」を歌ったとしたら、やはり私はセーラー服姿の郡山二中に軍配を上げるだろう。

何の説明にもなってないがそういうことだ。(笑)

あるまとめサイトで、「人は31歳(だったかな?)までに好きな音楽の傾向が決まり、それ以降はつまらなく聴こえる」ざっくり言うとそんな旨の記述があった。

まとめサイトだから所詮はコピペの世界、そこにオリジナリティーはなく、なんとなく筆者が思ったことを都合よく裏付けるために種々のデータをコピペしただけのものだとは思うが、私に言わせれば「つまらなく聴こえる原因は楽曲自体にもある」ことを見落としているような気がしてならなかった。

ある年齢までに好みの音楽の傾向が決まるというのは頷ける。

しかし私自身を考えてみても、ドリカムやいきものがかりを好きになったのは中年になってからだし(デビューを考えるとそうならざるを得ないが)、フランプールやセカオワは、「証」「プレゼント」以外にも聴かせるだけのいい曲を作っていると思っている。

曲が良ければ少々歌が下手だろうがなんだろうが人は年齢に関係なくその人の作る音楽を好きになる。

若い世代には理解できないだろうが、ここ十何年の歌番組衰退の原因は、人がネットを楽しむようになってテレビを見なくなったからだと言われるが、それは一つの要因に過ぎず、結局はいい歌が少なくなったからである。

昭和歌謡と呼ばれるものが染み付いている中年の私は、作り手の歌詞、作曲レベル、歌い手の歌唱レベルは確実に落ちていると言い切れるし、また同時に視聴者の鑑賞力も低下しているように思えてならない。

以前記事に書いたような気がするが、松田聖子の動画のコメントで、多くの人が聖子の歌唱力を絶賛しているのに驚いたことを思い出す。

私が十代の頃、松田聖子と中森明菜が人気を二分していたが、明菜の歌唱力を評価する者はいても、聖子は歌が上手いなどと言い出す人間は一人もいなかった。

そんなことを言ったら自分がロバの耳だということを認めるに等しいと皆思っていたからである。

当然私もそうだったが、CDを買ったのは聖子の方が多かった。

歌の上手い下手だけではなく、作品自体の魅力が大きかったのだと思う。

呉田軽穂はじめ錚々たるメンバーが作品を作っていたのだから売れて当然だ。

そんな私が今松田聖子を聴くと、もちろん昔の聖子ちゃんだが、不思議と歌に魅力を覚えるのはなぜだろう?

もちろん今でも歌唱力があるとは思わない。

ここ何年か昔の松田聖子を振り返って、類まれな天性の歌声の持ち主だのなんだのと彼女を褒めちぎる番組を目にしたが、これは最終的に大売れしたからそう評価されただけのこと、もし早見優あたりと同列のレコードセールスだったら一顧だにされなかったに違いない。

考えてみれば当時は岩崎宏美など誰もが認める歌唱力をもった実力派歌手がゴロゴロいたわけで、アイドルだった松田聖子に歌唱力を期待したりはしなかったようにも思う。

それが30年後に改めて聴くとそれなりに歌えてるように思えるのだから、若い頃の己の耳がどうかしていたのかとも思うがそうではあるまい。

いつ頃からか素人作曲家に毛が生えた程度のストリートミュージシャン上がりの作品がヒットチャートを占めるようになり、ここ数年はジャニーズをはじめAKBやエグザイルなど数に物を言わせたグループが跋扈するようになった。

ソロ歌手にしたところで、ちょっと可愛くて作詞も出来ますよ的な個性をアピールする歌手ばかり、じっくり聴かせる歌手はほんの一握りというお寒い状態である。

(アナ雪を歌った松たか子じゃない方の歌唱力は高く評価している)

周囲が大して歌唱力のないタレント歌手ばかりだから松田聖子でも上手く聴こえる、私はそんなとこではないかと思っている。

もっと言うと、素人に毛の生えた程度のヘナチョコ歌ばかり聞かされて育った人間にはそれが標準となってしまい、基準となる作品レベル、歌唱力レベルがうーんとダウンしているのではないかということである。

意見か偏見かわからないが、人が音楽番組を見なくなったのは、歌手あるいは音楽自体の魅力が著しく低下してきたからに他ならないというのが私の結論だ。

さんざん聖子ちゃんの悪口を書いてきたようだが、誤解しないで欲しいのは、今でも私の中でアイドル的存在感を一番感じさせるのは松田聖子であり、彼女の歌なくしては青春時代は語れないと言ってもいい。

子供時代は天地真理、青春時代は松田聖子、そして中年以降は郡山二中、というのが私のアイドル遍歴である。

笑うな!




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