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単に性悪なだけ

2016年04月09日 15:16

記事のタイトルを、「ゲストの極み乙女」にするか「ゲストの極み二中乙女」にするかで一日頭を悩ませてしまう私は、やはりどうかしているのだろう。(笑)

私はこういう言葉遊びが大好きなたちで、オヤジギャクだ何だと蔑まされようが気にしないようにしている。

センスがあるとは言い難いのは、ひとえに私の語彙不足によるもので、ボキャ貧の理由はやはり圧倒的に読書量が足りていないせいだと思われる。

それゆえ私は、できるだけ活字を読むようにと心がけながらも、テレビの方が手っ取り早いと安直に考えてしまい、いわゆる教養番組と呼ばれるEテレはじめNHK関連の番組を見る時間を極力増やすようにした。

先日放送された「100分de名著」なんかもそうで、分かりやすい解説は大変勉強になるし、これまでの知識がいかに薄っぺらで断片的だったかを痛感させられる。

物事を非常にわかりやすい例に置き換えて話す伊集院光も面白い。

先週の内容は「歎異抄」についてだった。

私はウンウン頷きながら解説者の言葉に耳を傾けていたのだが、解説中、突如私の中の悪い虫が騒ぎ始めた。

オヤジ心をくすぐる言葉が見つかったのだ。

「歎異抄」が、教えと異なることを嘆くという意味であることは、私でも知ってるくらいだから大抵の人はご存知のはずだ。

異なることを嘆く、つまり、間違っていることを嘆き悲しむと捉えていいのかもしれない。

そこで私は考えた。

将来仮に、まさかと思うが万が一、郡山二中がこれまでの透明感ある合唱をかなぐり捨て、感動とは無縁の革新的ともとれる合唱を始めたと仮定したら、きっと多くのファンは嘆き悲しむに違いない。

そうなると現状を憂えた二中卒業生有志は、学校宛に抗議文なり要望書を突き付け、早急な改善を要求するものと思われる。

その時の表題が、二中の心得違いを嘆くという意味の『歎二唱』で、署名はもちろん二中OGの連名である。

「グストの極み二中」に悩みぬいた私も、これは一瞬で思いついた。

博識な読者諸氏ならすぐお気付きだろう、薄識な私が思いつくくらいだから。

「歎異抄」を知ってる人ならわかるはず、わかった人だけ笑ってもらえればいい。

お粗末でした。(笑)



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