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気付いた~んだ~♪

五中の「Gifts」にかなり時間を割いて記事を書いてきたので、難解な自由曲は聴いてないんじゃないか、そう思われる方もいるかもしれない。
「Gifts」は「プレゼント」並みに秀作だと思っているのでそれなりに、いやそれなりどころの騒ぎではなく、寝てる間にも五中生が耳元で歌っているような錯覚を覚えるほどに聴き込んだ。
作品自体の魅力もあるが、何と言っても五中の名演奏あってこその「Gifts」であって、他校の演奏であればここまで熱中することはなかったと思う。
二中「Gifts」も私好みの演奏で、聴きまくったのは確かだが、比率としては五中7、二中3くらいだったような気がする。
だったと過去形で書いたのは、レビュー記事を書くにあたって当然五中の方を聴く機会が多かったためで、これからは二中の比率も上がるはずだ。
両校ともに数限りなく再生したことは間違いないが、同時に自由曲の方も課題曲ほどではないにせよかなり聴き込んだつもりである。
比率でいうと、そうだなあ、課題曲7自由曲3くらいだろうか。
自由曲は好きで聴いたというより、課題曲に耳が疲れた時の休息の意味で聴いていた部分もある。
だから心落ち着く宗教曲は一服の清涼剤になったが、二中の「風見鳥」は清涼剤どころか、むしろ精力剤を飲まされたようで、耳と気持ちはシャンとするのだが、聴き終わった後は疲れてしまうのが常だった。(笑)
「風見鳥」はよく知っている曲なのでそう緊張するはずはないのに、曲調そのものに緊張を強いる面があって、私も条件反射的に耳をこわばらせたせいかもしれない。
前置きが長くなったが、五中の自由曲について書く。
課題曲に大感激した分、自由曲のプーランクはいささか退屈するんじゃないかと心配していたが、まったくの杞憂だった。
決まって眠くなるはずの宗教曲も、妙なる調べで聴かされると、眠くなるどころか、課題曲から一変して静けさが画面いっぱいに広がり、緊張感さえ漂ってくるようだった。
無伴奏だったのがかえって良かったのかもしれない。
マ~ジ ♪ 何がマジなのかさっぱりわからなかったし、そもそも何語で歌われているのかさえ掴めなかった。
そのうちにはラテン語で歌ってると気付いたが、どのみち私に理解できるわけはないので、ひたすら声と奏でられる音に集中して聴いていった。
日本語曲でないと、どの箇所が良かったとか、具体的に歌詞で示せないのが厄介である。
今回はネットで歌詞を調べたのでそれをここに記す。

「Videntes stellam (星を見て)」
Videntes stellam Magi, gavisi sunt gaudio magno
賢人達は星を見て歓喜に溢れ
et intrantes domum obtulerunt Domino aurum, thus, et myrrham.
そして家に入って主に黄金、乳香と没薬を捧げなさった

私なんか日本語訳を見ても意味不明なのだから困ってしまう。
Videntes はどことなく Video に似てるからビジュアルで見るという意味なのかもしれない。
stellam はステラに似てるから星のことかも。
Domino は主ということだろうが、マ~ジ ♪ の magi とはなんぞや?
マギーじゃないのか?タレントにマギーっていたよな、あとマギーブイヨンとか。(笑)
もしかすると、万能とか賢いとかそういう意味ではないか?
とするとマ~ジ ♪ は賢人を意味するのか?
intrantes はエントランスに似ているから入るという意味なのか?
それと訳の黄金はまだわかるとして、(たぶん金そのものか金貨のこと)
乳香? 没薬? もう、なに言ってるのかmajiわからないんですけど。
こんなの歌って楽しいか!だんだん怒りがこみ上げてくる。(笑)
それでもやはり声の魅力というのは曲そのものが持つ力を超えて耳に響くものだ。
ソプラノが天から降ってくるような美しい高音を毎年のように響かせている。
明鏡止水と表現していいくらい清澄感のある高音が特徴で、特にオブリガートの美しさは天下一品である。
今年「Gifts」冒頭で響かせたオブリガートを聴けば得心がいくはずだ。
私自身意外な気がしているのだが、今年のソプラノは何というか声が可憐なのである。
勘違いしてもらっては困るが、何もローレライの顔を見て可愛い声だと思ったわけではない。
天使の声であるのは例年と変わりはないのだが、今年は等身大のティーンエイジャーの声も聴こえてくるように思うのだ。
もちろんそれは地声が混ざっているとか高音部は喉が締まって苦しそうだとか、そんな意味ではまったくない。
アルトと男声があまりに大人の声になりつつあるからそのコントラストでソプラノが余計に可愛い音色に聴こえる、うーん、そうであるような、ないような・・・。
話は変わるが、県コンクールの音源を聴いて私は、今年の二中の声はどこかこれまでと違うようだと書いた。
「これは演奏上の欠点ではないが、強いて言えば、少なくとも3年前には感じられた中学生の可憐さ、脆さがなくなったことか。声は立派だが極めて自然体でそれでいて圧倒的な合唱、一言で言うとそういう印象である」
これは九月初旬の記事だが、録音の影響もあるから一概には言えないがとちゃっかり言い訳もしている。
私が抱いた二中への違和感、それが何なのか2ヶ月あまり考えてきたが、五中のソプラノを聴いていてハッと気付いた。
私が理想と思うソプラノを、今年は二中ではなく五中ローレライが担っていたんだということを。
清澄感、透明感だけではなく、ティーンエイジャーならではの可憐さや脆さがその歌声から聴こえてくるのである。
もちろんこれが後付けの理屈であることは否定しない。
実際2ヶ月考え続けてようやくたどり着いた結論なのだから。
だから私はこれほどまでに五中に夢中になれたのかもしれない。
素晴らしい表現力や魅力ある低音に惹かれたというのもたしかにある。
しかし私を最も惹きつけたのは、実はソプラノの声質だったのではないか、繰り返し歌われるソプラノの Videntes stellam ♪ を聴いてそんなことを思ってしまった。
誤解のないように書いておくが、二中から可憐さが感じられなくなったというのは決して悪いことではないし、もちろんレベルが云々というようなことではない。
私の耳にはそう感じられたということに過ぎないし、私自身はむしろ、そこに二中の成長を感じているのである。
今年は例年以上に3年生が主体となっていたというのも、大人びた声に聴こえた要因のひとつかもしれない。
可憐さ危うさが感じられないということは、安定した歌声を届けることが出来るということも意味するはずだ。
だから私はこれからの二中が楽しみなのである。
上級生が少なくなって再び可憐で脆さも感じさせる歌声を響かせるのか、あるいは下級生主体でも安定感のあるしっかりした歌声を届けてくれるのか、そこに二中の意図があろうがなかろうが、私は彼等の歌声を聴きたいし、さすがは我が二中だと心の中で胸を張りたい。
自由曲レビューがあっちこっちに話が飛んでしまってわけがわからなくなってきた。(いつものことですが)
五中を聴きすぎた反動なのか、少し二中への里心が湧いてきたように思う。(笑)
長引きそうなので今日はここまでにするが、思いのほかプーランクは聴きがいがあったので続きはまた書かせてもらうつもりだ。
二中の課題曲自由曲のレビューもまだだし、楽しいんだけれど、掛け持ちはけっこうつらい。(笑)

世寡虫
Posted by世寡虫

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